生きることへの希望

「生き方」を問い直す時代へ 〜田舎が都市を支える未来〜

水上 篤(農業生産法人株式会社hototo 代表)


1. 失われた「生き方」

私は70年代生まれの世代だ。私たちは、生まれたときから何一つ不自由のない生活を送ってきた。ほしいものは簡単に手に入り、短時間で欲求が満たされる。便利を超えた「当たり前」の生活の中で、幸せの形は「金・物・ステータス」と定義され、資本主義が目指した価値観をそのまま受け入れてきた。

しかし、リーマンショック以降、資本主義経済の歪みが露呈し、便利な社会と引き換えに、私たちが本当に失ったものが明らかになった。それは「お金」ではなく、「生き方」だった。金や物を追い求める中で、人間としての根源的な営みが排除され、最終的に残ったのは「生きることへの悩み」だったのだ。

都市の生活は、外部の情報—テレビ、広告、ブランド—に溢れ、いつの間にかそれが「自分」だと思い込むようになっていた。しかし、経済の変化や社会の混乱が進む中で、多くの人が自分自身と向き合い始めた。そして気づく。「僕、私」はどこにいるのか。居場所がないのではないか、と。

今、多くの若者が「生きづらさ」を抱えている。不登校児童生徒数は過去最多の34万6,482人に達し、11年連続で増加し続けている。これは単なる教育の問題ではなく、「生き方の問題」なのではないか。


2. 「生きること」への希望はどこにあるのか

私自身、ニューヨークで建築・設計事務所を経営し、経済的には成功を手にしていた。日本の設計事務所の10倍の収入を得ながら、高収入や高い地位を目指す生活をしていた。しかし、ある時ふと気づいた。「僕、私」はどこにいるのか? 何のために生きているのか?

そんな時、週末に誘われたニューヨーカーのライフスタイルが大きな転換点になった。富裕層ほど、週末には田舎へ行き、都会で疲れた心を癒し、人間としてのバランスを取り戻す。農作業をし、自然に触れ、仲間と過ごす。その中で、ある富裕層の女性が言った。「お金持ちが本当に欲しいものは2つあります。それは、人間には手に入らないアートと、今の状況よ。」

「今の状況」とは何か? それは、作業をしながら仲間と過ごす、農的な生活だった。私は衝撃を受けた。お金では買えない価値がそこにある。私がこれまで追い求めていたものが、実は生まれ育った田舎にすでにあったのだ。


3. 田舎が都市を支える時代

私は、実家のある山梨県牧丘町に帰った。そこは日本の100里百選にも選ばれた美しい農村だったが、耕作放棄地は年々増え、高齢化が進み、風景が変わりつつあった。

しかし、見方を変えれば、そこには「可能性」があった。使われていない農地、無農薬で野菜を育てる技術を持った高齢者、そして都会では失われた「生きることの希望」がそこに残っていた。

そこで私は、農業を中心とした 「農業実践スクール」 を立ち上げた。ただの農業教室ではなく、農をライフスタイルとして組み込む場を作りたかった。そして、実家の農家を 「農業生産法人 株式会社hototo」 とし、理念を「関わるすべての人の幸せの総和がホトトの価値」とした。

私が目指すのは、「持続可能な風景」 である。それは、単なる社会システムではなく、人が等身大で生きられる環境だ。安心して生産者が生産でき、正当な金額で取引が行われ、誰もが活躍できる場所を作る。それが「風景」であり、「社会」ではない。風景とは、緩やかなバランスの中に、個人の生き方が自然に溶け込むものなのだ。


4. 「生き方」を問う新しい時代へ

今、都市と田舎の関係は変わりつつある。かつては田舎が都市に依存していたが、今後は田舎が都市を支える時代が来る。都会に生きる人々が「生きることの希望」を求める場所として、田舎が再評価されている。

田舎には「生きることのリアリティ」がある。
ニワトリを育ててさばく。粘土を掘って器を作る。作物を育てる。仲間と共に働く。
そうした体験が、都市で失われた「生きる実感」を取り戻す鍵になる。

資本主義経済が崩壊しつつある今、人は物を買うことに飽き、用意されたエンターテイメントにも飽き、デフレにも飽きる。そして次に求めるのは「本当の生き方」だ。

生きることの希望はどこにあるのか?
私は、田舎の風景の中にその答えがあると確信している。


5. これからの一歩

私は、日本人が持つ「素晴らしい気質」を信じている。これからの時代、私たちが進むべき道は、「何を手に入れるか」ではなく、「どのように生きるか」を問い直すことだ。

まずは、一歩から。
誰にでもできる「小さな一歩」を踏み出し、新しい未来をつくる。
その先に、私たちが本当に求める「生きる風景」が広がっているはずだ。