〜コラム記事紹介〜
雑誌「往還」2010年5月発売
株式会社ホトト代表水上篤
タイトル
「これからは地域と田舎が、都市をささえる時代」
私はごく一般的な70年代生まれの世代である。70年代生まれは、生まれたときか ら、何一つ不自由なく生活用品、生活スタイルがあった。ほしいものは簡単に買え、 短時間で自分の欲求が満たされる時代があった。それは、便利を超えた当たり前の生 活である。幸せの形は、金、物、ステータス。70年代も資本主義が目指したものを 幸せの形とした。そんな中、リーマンショック以後、世の中のシステム(資本主義経 済)が崩壊し、その便利な社会と引き換えに、GDP世界第2位の私たちが失ってし まったもの。それはお金ではなく「生き方」である。人間としての活動をすべて排除 し、お金や物をつりあげる西洋経済システムが残したも。それは「心の失踪」であっ た。便利、そして手軽、簡単な世の中が最後に残したものは、「生きることへの悩み」 である。そもそも、私たちは、生きるために仕事をしている。食べ物を食べる為に、 活動を行っている。もちろん、それだけではないが、生命活動を行うことで生きる実 感を感じるのである。生きる実感がない今の経済システムの中で多くの人は生きる希 望を失いつつあるのである。
アメリカの友達に、「村上春樹よんだ?」などと聞かれる。世界で村上春樹が売れて いるのはいったいなぜであろう。日本人が書いた物語が、なぜあれほどアメリカ、ヨ ーロッパの若い人に好まれているのであろうか。そこには共通した思いがあるのでは ないか。それは、たぶん、「僕私の失踪」ではなかろうか。 「僕私の失踪」それはどういうことであろうか?
都会で生活していると、まるで外の情報(テレビの情報、広告、街のブランドなど) が自分のように思い始める。日々、自分自身のことを考える時間もなく、世の中があ たかも自分かのように、生活している。欲求は購買、インスタントな娯楽、気楽な生 活で解消している。そんな生活が、僕と感じたり、私と感じたりしていた。しかし、 その経済が破綻に向かい、外の環境が崩壊する中、改めて多くの人は自分のことを考 え直しているのである。もちろん、いくら考えても、「僕、私」はそこには存在しな いのである。そして、居場所すらないのである。よって、心の失踪、生きることへの 悩みが世の中の若者の共通点となっているのではないか。その共通点が村上春樹をベ ストセラーにつなげている理由なのかもしれない。多くの人は、このままではまずい なと感じながらも、何ができるのかと辺りを見ても「何もないな」と思っている人 は多いのではないだろうか。
では私たちはどのように、行動していけばいいのか?そして持続可能な生活とはいっ たいどこにあるのであろうか?混沌とした社会の中で、何を目指し、そしてわれわれ 日本人はいったいどこへいくのか。私が行っている1歩を具体例としてタイトルの 「これからは地域と田舎が、都市をささえる時代」としたい。
私が始めた小さな1歩
ニューヨークでの大きな転換
私はニューヨークの建築・設計事務所で仕事をし生活していた。自分のアメリカ法 人を持って仕事をするほど、余裕とチャンスはあった。収入は日本のアトリエ設計事 務所のおよそ、10倍の金額。資本主義経済の中で生活をし、目標といえば、高収入 や高い地位であった。私もそれを目指した一人である。そんな私が180度人生を変 えたひとつのきっかけから、この小さな1歩は始まったのである。実は私も前項でお 話したように、心の失踪と「僕私」を失いかけていたのである。友人に週末誘われ たことがきっかけとなった。ニューヨーカーは富裕層になればなるほど、週末は田舎 に行って、都会で疲れた心を癒し、人間としての生活のバランスを保とうとする。こ のワークバランスのなかには農作業的なものもあり、私も週末は自然に触れ合った り、仲間と過ごせる時間があった。ニューヨーカーには気軽に自然(農)と触れ合え る場所が豊富にあり、ライフスタイルの一部となっていたのである。その中で数億円 も年収がある富裕層の女性が私に、「お金持ちのほしいものは2つあります、何かわ かりますか?」っと。私は、「お金持ちのほしいものはお金とステータスだ」と思っ ていた。しかしその答えは意外なものだった。「お金持ちがほしいものは、1つは人 間では手に入らないもの。それはアートや絵画あるらしい。もう1 つは、今の状況。」 今の状況?これは自然の中で、知らない人が色々な作業をして仲間になったり、楽し い食事の時間を過ごしたり、いわゆる、日本で言えば農的生活である。「こんなこと が高級だったのか?」っと私の考えが180度変わり、お金からかけがえのない価値 に変わったとき、「こんな高級な場所は、日本にはたくさんある」。無理をして私は なぜアメリカで紙切れのために働いているのか?っと思い、嫌で出た山梨が最高の場 所だとわかったのが家を出て14年後のことであった。実はこれが小さな1歩となっ たのである。
私の実家山梨。
実家は山梨県の中山間部、富士山がよく見える山梨市牧丘町にある。巨峰の生産で 有名で、「日本の100里百選」にも選ばれたのどかで美しい農村である。私も果樹 園三代目、おじいちゃんの代から果樹を栽培してきた。ここ牧丘も、少子高齢化がす すみ、ここ数年で耕作放棄地は二倍に増えていた。実家に帰るたびに、村の風景が変 わりつつあるのである。兼業農家特有の後継者不足と、出荷金額の下落にともなって 耕作放棄地は増え続けている。山梨は耕作放棄地が全国で第2位であるから、相当な 面積である。代々引継がれてきた果樹畑も伐採され、荒地となるのも時間の問題であ る。果樹は一度整備・育成すれば、何年もの月日にわたって栽培、収穫を続けること ができる。しかし後継者がいなければ伐採してしまうという現状である。 若者もいない、観光地でもない、農家の後継者もいない、兼業農家が多いこの山間部 で私は今何ができるのであろうか?。そんな思いが芽生えた。しかし、現在行なわれ ているような、一部のNPO団体のイベントや短期的な町の政策では、根本的には町 は変わらない。継続的にかかわり、生活する人がいて初めて町が変わるのである。人 がいなくては、土地も町も生かすことはできない。ここには、お金や便利さはない。 しかし、耕作されていない土地があり、無農薬で野菜を栽培する技をもった高齢者は たくさんいる。八〇歳でもここではいまだ現役なのである。ネガティブな状況もたく さんあるが、見方を変えれば、都心からこれだけ近いのに、農村風景と自然が残って いる最高の場所があったである。 持続可能な風景(社会)をつくりたい この牧丘に持続可能な風景をつくりたい。そんな思いから農を中心とした、農業実 践スクールを始めた。それもたんなる野菜づくりを教える教室でなく、農がライフス タイルの一部となるような場所を作りたいと思った。都会の需要と田舎の需要が重な れば、地域にとっても大きな力となる。そして、幸いにも私の実家には技術と場所。 そして山梨には、素晴らしい志の方や農業法人、そしてなによりも本物を作り上げて いるネットワークがあった。
実家の農家を「農業生産法人株式会社hototo」とし、理念として「ホトトに関 係するすべての人の幸せの総和がホトトの価値」とし、幸せの総和=価値として活動 していくことを決めた。生産法人としたのは、手でものをつくることを忘れないため でもある。なぜホトトかといえば、ニューヨークの都会生活に疲れてトホホーとため 息ばかりだった私が、週末郊外で過ごすと充実してため息が出なかった。都会と田舎 は正反対だから、トホホの反対でホホト。これではいいにくいホトトにしたという次 第。ふざけた名前の付け方であるか、自分の場所をいつまでも忘れないように、思い を込めて付けた名前である。
私の考える「持続可能な風景」とは。
安心して生産者が生産でき、正当な金額で取 引が行え、足元をみないで成立つ社会。WINWINな関係。そして誰もが活躍でき る場所や安心して生活できる空間と風景をつくる。その中で、農業技術も徐々に持続 可能な農法(有機栽培、無農薬など)を選択し、現在農場の改革も行っている。そん な持続可能な風景である。風景というのは緩やかなバランスの中に、等身大の個人が 自分の背丈で生きていける場所をつくりたいと思うことから、「社会」ではなく「風景」 なのである。その緩やかな共同体が、幾重にもなり、持続可能な風景を形成するのだ と思っている。
田舎が都会を支える
現在、スクールは生徒100名を超え、農を中心としたスクールを週2回程度で行 っている。彼らにも、自分の中に「思いの芽」が咲き始めている。田舎には都会が失 ってしまったものがたくさん残っている。田舎には「生きることの希望」がある。希 望を持って生きることができる場所、それが田舎である。その希望がいずれは都会を 支えていく。心の中の自分を失ってしまった都会人に「生きることの希望」を提供で きるのが田舎である。食べることへの希望である。そして不便や苦労する生活から楽 しさを学んでいくのである。多くの人と作業を行うことで、思いやりを楽しむのであ る。都会を支えるのは人である。人を支えるのは心である。その心を支える唯一の鍵 が田舎である。人は、「人の役にたつ仕事をしたい」、「やりがいある仕事をしたい」 っと考える。金や物ではない。言い換えれば、自分自身の存在意義、そして存在を他 人を通して確認したいという欲求である。日本は江戸時代から色々な時代を迎えてき た。江戸(起)戦後(承)資本主義経済(転)100年に一度の不況(結)。そし てこれから、「結」としての日本人らしい日本人としての最終章が始まるのである。 日本人はまだまだ進化の途中なのである。もちろん資本主義経済から抜け出せない会 社や人も多いであろうし、それに気がつかない人もまた多いであろう。しかしそれも 時間の問題である。物を買うことに飽きてしまう。用意されたエンターテイメントに 飽きてしまう、想像がつくような、物語にも興味がない。白州郷牧場椎名代表の言 葉をお借りすれば、「すべてに飽きちゃう」のである。そのうちデフレにも飽きちゃ う。だからこそまた新しい希望がそこから生まれてくるのである。アメリカ経済は急 激なスピードで破綻を始めている。日本の希望「JAL」が一夜城のごとく、なくな ってしまうのであるから、資本主義経済が作り上げた、価値や物は、グローバル経済 と連動して簡単に壊れてしまうのである。しかし、そんな世の中だからこそ、希望を 持って生きる場所ができるのである。それが田舎、地方である。
私はこう思う。
私は日本人がとても素晴らしい気質を持っていることを確信している。
そして、世界に類をみない、文化と異質性があることも肌身で感じている。
今日本は素晴らしい時代を迎えようとしている。
まずは、一歩から。 その一歩を踏み出すことは誰にでもできるはず。個人ができる範囲から、その一歩目 を着実に進めていくことが日本の素晴らしい最終章を作り上げていくのだと確信し ている。
私の一歩は間違いなく新しい未来をつくりあげようとしている。
農業生産法人株式会社hototo 代表水上篤
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